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ローマ法王(教皇) Papa(英語Pope) >>関連項目一覧


ラテン語Pontifex Maximus、Papa 英語 Supreme Pontiff、Pope ポープ。Papa パパの意味は「父」。
キリスト教の「全カトリック教会の首長」。ローマ・カトリックにおいて、 地上における「イエス・キリストの代理者」である「ローマ司教」、その権威は 「使徒の頭(かしら)の後継者」(12使徒の長で最初のローマ司教とされるペテロPeterの継承者)に通じる。
ローマ司教は「ペテロの座」Cathedra Petriと称され、4世紀以降はローマ司教のみがパパPapaとよばれる ようになった。
ローマ法王はどの国にも属さない立場をとり、バチカン市国の国家元首という独立した立場で精神的独立性を確保している らしい。
ローマ・カトリックは2008年頃で世界に2500の司教区、洗礼を受けた教徒は10億人を超えるという。 (キリスト教全体の信徒数は20数億とも)
ローマ法王の選出「 コンクラーベconclave(ラテン語 鍵のかかる部屋、秘密の会議のこと)」が行われる。
前教皇没後15日以内に招集され(ごくまれに存命中の退位での選挙もある)、3分の2以上の多数票を得た人物の就任受諾で、 新教皇名が決定、公示される。新教皇の着座式は選挙直後の日曜日または祝日に行われる。
コンクラーベは世界中から枢機卿カーディナルcardinal (定員70人 教皇に次ぐ高位聖職者 教皇顧問、補佐に当たる 教皇選挙権を持つ)が 集まり、時に長期に及び根くらべの様相を呈するw

ローマ・カトリックのヒエラルキーは以下の通り
法王(教皇)[ローマ司教]
枢機卿
司教(重要な教区では大司教、総大司教)
司祭
助祭
平信徒


歴史的には
西暦313年にローマ帝国の公認(ミラノ勅令)を得たキリスト教は、 395年に東西ローマ帝国の分裂で西方教会(ローマ)と東方教会(コンスタンティノポリス) で対立する。いろいろ干渉しあった結果、 1054年にはローマ教皇レオ9世とコンスタンティノープル総主教ケルラリオスが互いを破門して完全決別する。 しかし1965年にお互いの破門を解いて和解した。
なお東方教会をギリシャ正教ともいうのはビザンツ帝国がギリシャ語を公用語としていたかららしいが、 、カトリックではラテン語を用いた。

西方教会については、西ローマ帝国がはやばやと476年に滅亡したが新興の ゲルマン民族の王たちが宗教的権威も得ようとカトリックに改宗、 ローマ教皇が王位を授け、教皇の権力や富も大きくなった。
教皇レオ3世はカール大帝に加冠、 962年には教皇ヨハネス12世がオットー1世に帝冠を授け神聖ローマ帝国が樹立する。
その後、教皇の権力が大きくなりすぎた感がある。 教皇グレゴリウス7世は皇帝ハインリヒ4世を破門し、許しを乞うため、皇帝が 北イタリアのカノッサまできて雪の中、城門前で3日間待った。(カノッサの屈辱)


教皇ウルバヌス2世(在位1088-1099)は十字軍を提唱。
権威の絶頂期ともいうインノケンティウス3世(在位1198-1216)が教皇権を確立。
しかし 中世末期に至ると、フランス王権などの世俗権力の強大化により教皇権は弱まり、シスマ (教会大分裂 1378-1417年)があり、教皇首位権への信頼は揺らいだ。
1415年 分裂解消のため 教皇グレゴリウス12世が退位。
公会議首位説(公会議至上主義)が強まり、「教会の頭と肢体の改革」が叫ばれたが実績はなかった。
なお1400年代末には魔女狩りをがんばった教皇インノケンティウス8世がいた。

1517年以降のルターの宗教改革でカトリックの権威は 大きく傷つく。新教徒プロテスタントの人々は教皇をはじめとした聖職者の権威を認めなかった。

教皇庁の贖宥状(免罪符)乱発という罪の償い軽減ビジネス、 この大量販売で暴利を貪るという腐敗があった。

1500年代、ヨーロッパはこの新教徒・旧教徒にからんだ戦争が まきおこる。
1545年には教皇の主導下イタリアのトリエントで公会議が開かれ、規律の再構築、徹底をはかりながら、 教皇権の至上性を確認した。 ローマ教皇を中心に秩序と権威の回復を図る改革を行っていった。 厳格な規律のイエズス会で世界への布教を進めた。
なお1585年、教皇グレゴリウス13世に日本の天正使節団、伊東マンショが謁見した。

さらにヨーロッパの近代化の中、近代的政治体制、諸思想に対し教会は守勢で、 従来教皇が保持していた諸特権も否定された。
19世紀後半の第一ヴァチカン公会議(1869-1870年)は、 時代思潮に対してカトリック教会の立場を明確にし、また教皇の不可謬(ふかびゅう)性を全教会へ宣言(エクスカテドラ)した。 (だが公会議中に、初の国家統一を目ざすイタリアによって ローマが占領、教皇領をすべて奪われた *のちにラテラノ条約によりバチカン市国が成立)
しかし復古カトリック教徒は教皇の不可謬性とカトリックのさまざまな慣習をしりぞけている。
プロテスタントも同様である。 正教会は自治独立のため教皇権はしりぞけるが教皇に最大の敬意を表している。 イギリス国教会 の中には期限付きで認める動きもあるという。

1910年にプロテスタントがエディンバラ世界宣教会議ではじめた 世界教会運動、エキュメニカル運動は教義などの一致が難しい中、この 教皇権が大きな問題としてある。

世俗権力を失ったなかで、教皇はカトリック教会の首長、宗教的指導者の立場から、社会正義や平和問題について 世界に訴えるようになった。(レオ13世 労働者の人間性尊重、平和のための国際連盟 等訴えた)

20世紀にはいってもカトリックとプロテスタントがからんだ紛争がある中、平和への訴えを行うようになった。
ヨハネス23世は第二バチカン公会議(1962-1965年)を招集
パウルス6世(パウロ6世)の国際連合での平和の演説(1965年)
ヨハネ・パウロ2世(ヨハネス・パウルス2世)の世界各地を歴訪
 1981年2月には教皇として史上初の日本来訪 広島で平和アピール
 1989年 ソ連崩壊2年前にゴルバチョフソ連共産党書記長とバチカンで会談
 1998年1月 キューバ訪問 カストロ議長と会談
 「聖年」2000年3月 諸宗教・諸民族間の「ゆるしと和解」を旨とする聖地巡礼
 2001年5月 キリスト教会東西分裂以来、初のギリシアを訪問


メディア報道やネットメディアのある種エンタメ化の中、 ローマ法王はメディアに報道されるようなアクションをおこすことがある。
2012年にはローマ法王ベネディクト16世がツイッターをはじめたり、2013年には約600年ぶりに存命中の退位を表明するなど 話題になった。(1415年の教会大分裂の際同意して退位したグレゴリウス12世以来)



ローマ教皇の文書
大勅書(Papal bull ラテン語で封印の意味 ローマ教皇の教書で古風な書体で書かれ、鉛の封印が押される)
回勅(「同文通達」の意味)


教皇制度Papacy




余談だが、コミック作品「スティール・ボール・ラン」内で「1000年続いてるのはヴァチカンだけだ」 という内容があったが、設定年代の後のことになるが、イタリアの教皇領奪取で千年王国の存続記録は終わっているようだ。

参考資料
・世界宗教事典(青土社)
・図解宗教史(成美堂出版)
・大辞泉 (JapanKnowledge)
・ニューセンチュリー和英辞典
・日本大百科全書 (執筆者:梅津尚志 小学館)
-『教皇』 (W・ドルメッソン:著 橋口倫介:訳 1959 ドン・ボスコ社)
-『カトリシズム 教皇と近代世界』 (K・v・アーレティン:著 沢田昭夫:訳 1973 平凡社)
-『ローマ教皇史』 (鈴木宣明:著 1980 教育社)



 
関連項目一覧
キリスト教 【文化地域項目】
インノケンティウス 【キリスト教:ローマ教皇】
ハイエロファント(法皇,教皇) 【ヨーロッパ:タロット】

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