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インノケンティウス(イノケンティウス) Innocentius 英語Innocentイノセント >>関連項目一覧


キリスト教、ローマ、ヨーロッパでの「ローマ教皇」の名前。歴史上では1世、3世、4世、6世、8世、10世、11世がおもに知られるようだ。
英語だとPope Innocent I(他、III、VIII等)。
名前はラテン語innocentemに由来。意味は、in-(No,否定) + nocentem で「not guilty 無実,無罪」 「harmless 無害の,悪意のない,無邪気な」「blameless 潔白な,非難の余地のない,非の打ちどころのない,なんの罪もない,やましくない[guiltyの対比語]」など。
英語のイノセンスinnocence、イノセント(インノセント)innocentと同じ語源。

以下に各教皇の概略を述べる。

インノケンティウス1世
生没年不詳(在位401-417年)。イタリア中部アルバーノ出身。古代の名教皇の一人、聖人。
全教会に対するローマ司教首位権が形成されつつあった時代に在位、教皇権の拡大を図った。
教皇シリチウス(在位384-399年)が、初めて「教令」で各地教会の行政、規律を正した精神を継いで、 各司教区と多くの書簡を取り交わし、地方教会会議の重大問題の最終決定をローマにゆだねるように求めた。
オーク会議で罷免された東方教会の総大司教クリソストモスの上告を擁護したため東方教会との不和を生んだ。
416年ペラギウスを異端として断罪した教会会議の決定を裁可。

インノケンティウス3世
生没1160-1216年。第177代教皇(在位1198-1216年)。
ボローニャ、パリ両大学で法学と神学を修め、37歳で教皇座に登位。 第4次十字軍は失敗したが、教皇主宰の第四ラテラン公会議(1215)は中世最大の公会議になった。 「キリストの代理者」と自称し、 ドイツ皇帝、イギリス王、フランス王その他の君主や諸国家を抑え、教皇庁の強化と教権の拡張を計り、 中世教皇権の最盛期を実現した。異端派の正統への復帰にもつとめた。

インノケンティウス4世
生没?-1254年。第181代教皇(在位1243-1254年)。教皇権の拡大に努め、フリードリヒ2世以下、 歴代の神聖ローマ皇帝と争った。1245年リヨンに公会議を招集、皇帝に対し破門および帝位剥奪の宣告を下した。
東洋への関心が強く、フランシスコ会修道士プラノ・カルピニを使節としモンゴル帝国に派遣した。

インノケンティウス6世
生没?-1362年。第200代教皇(在位1352-1362年)。アビニョン教皇宮廷を改革し、教皇権益の回復を図った。

インノケンティウス8世
生没1432-1492年。魔女狩り、魔女迫害をしたことで有名。1484年12月5日の教皇勅書、回勅「緊急の要請」 (Summis desiderantes affectibus)を公布して魔女の存在を断定し、審問官の活動を擁護。
この状況から1486年「魔女の鉄槌」が公刊され本格的な魔女狩りの時代になった。ちなみに著者が異端審問官である。 (インスティトリスとシュプレンガー。2名ともドミニコ会士でドイツの異端審問官)
インノケンティウス8世が瀕死の状態となったとき、生命が復活することを期待し3人の若者の血を飲まされたという。
「教皇インノケンティウス8世の墓碑」(1495年頃 ポライウオーロ兄弟作)がローマのサン・ピエトロ大聖堂にある。

インノケンティウス10世
生没1574-1655年。第239代教皇(在位1644-1655年)。ジャンセニズムを排斥。

インノケンティウス11世
生没1611-1689年。第242代教皇(在位1676-1689年)。教皇庁、修道院の改革に努め、ガリカニズムに反対した。
フランス王ルイ14世による教権制限に反対し争った。



余談だが、ラノベ、アニメ等の作品の「とある魔術の禁書目録(インデックス)」で、「魔女狩りの王(イノケンティウス)」が登場する。
インノケンティウス8世が元ネタと思われる。

参考資料
・日本大百科全書 (執筆者:磯見辰典 小学館)
・日本国語大辞典 (ジャパンナレッジ)
・ランダムハウス英和大辞典 (ジャパンナレッジ)
・eプログレッシブ英和中辞典 (JapanKnowledge)
・大辞泉 (JapanKnowledge)
・ONLINE ETYMOLOGY DICTIONARY

 
関連項目一覧
キリスト教 【文化地域項目】
ヨーロッパ 【文化地域項目】
ハイエロファント(法皇,教皇) 【ヨーロッパ:タロット】

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