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シンブツシュウゴウ 神仏習合 しんぶつしゅうごう >>関連項目一覧


神仏混淆(こんこう)とも。日本、またはアジアでみられる仏教と元々の民族宗教などが混ざり合った状態で信仰されること。状態。

日本語の辞書的説明としては「日本固有の神の信仰と外来の仏教信仰とを融合・調和するために唱えられた教説」等ともいわれるが あまり正しくはない。仏教はインドで誕生した時から、インドラなど民族神を仏法の守護者や仏の仮の姿等とし、取り込んできた。 それはチベット、モンゴル、タイ、中国でも見られた。基本的に神々とは仏法守護の諸天なのである。
キリスト教でも習合・混淆はあったが、唯一神の宗教でない仏教には、より習合する余地があったといえる。

まだ日本へ仏教が伝来したはじめの6世紀頃は「外国の神」といった認識であったが、8世紀の奈良時代にはいり、仏教の浸透とともに、 神社に付属して神宮寺が建てられ(気比神宮寺、若狭神宮寺[共に福井県])たり宇佐八幡宮の神輿が東大寺の大仏建立を助けるため 上京するなど護法善神の考え方がみられ、平安時代以降、八幡大菩薩の称号や熱田神宮が権現(ごんげん)とよばれるようになるなど (権も仮の意味 かりの姿で現れた意)、 本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ 本地は本当の姿 迹はかり、の意。仮の姿の神としてあらわれたが、その本地は仏である、という説) がみられた。平安後期頃から神道曼荼羅や神道集に仏教縁起譚がみられた。
しかし鎌倉時代後期頃から、これらの逆の反本地垂迹説などが起こり、室町時代には吉田兼倶の「根葉果実説」(神道が根、仏教を花とする) などがでてくるが神仏習合は定着し続け、明治政府の神仏分離政策(神仏判然令 神仏分離・廃仏毀[棄]釈)まで人々の間に広く浸透した。

本地垂迹説は元々の仏教教説にあり、インドでも中国でも説かれていた。
日本では主に中世以降、神道が思想体系化、組織化して仏教に対抗したなどの影響や、江戸期から明治期の政治背景で 廃仏運動がおこる以外では大きな問題はなかったといえるだろうか。

本来、庶民の日本人は「いわしの頭も信心」であり、難しい教説・教義などをしらなくても、「神さま仏さま」と セットで敬ってしまうようなあり方が普通の生活場面であるだろうか。

2010年、「8時だよ、神仏集合」というラジオ番組名が神仏習合みたいだというので「8時だよ、神さま仏さま」と変えるという話題があった。

 
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