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万里の長城 バンリノチョウジョウ (万里長城) >>関連項目一覧万里長城。中国の歴史上の建築物。中国本土の北辺に建設された長大な城壁。世界遺産(1987年文化遺産登録)。 春秋戦国時代の諸国が築いた長城あり、燕・趙のものを秦の始皇帝が匈奴の侵入を防ぐため利用して万里の長城とした。 また、南北朝時代から位置は南に移り、現存のものはモンゴルの侵入に備えて明代に築かれたものである。 河北省、遼東湾西岸の山海関から甘粛省の嘉峪関(かよくかん)に至る全長約2400km(または2700km)、高さ約6-9m、幅約4.5m。 2009年の中国政府の発表では、重複して建てられたり分岐したりした部分、また天然の地形を利用した部分を含めた総延長は8851.8kmだという。 長城の最も古いものは春秋時代の斉(せい)が領土防衛のため国境に築いたもので、燕(えん)・趙(ちょう)・魏(ぎ)などの諸国も倣い 国境に築いた。 その後、秦の始皇帝が築いたは甘粛(かんしゅく カンスー)省南部から北へ、黄河(ホワンホー)大屈曲部の 北を巡って東に延び、東北地区の遼河(りょうが リヤオホー)下流に至る長城。これは半分以上が燕・趙のものだという。 前漢の武帝(在位 紀元前BC141-BC87年)の時代、河西(ホーシー)回廊を匈奴から守るのに長城を延長。 [蘭州(ランチョウ)北方から西に、敦煌(とんこう トゥンホワン)の西の玉門関まで] 南北朝時代には北方民族の動きで長城の位置は南下した。6世紀中頃、北斉は大同の北西から 居庸関(きょようかん)を経て山海関に至る長城を築いた。 隋は突厥(とっけつ)、契丹(きったん)に備えてオルドス南辺に長城を築いた。 明代にモンゴルの侵入を防ぐため現在の規模になった。ほぼ北斉以来の線に沿い、15世紀の前半には河北(ホワペイ)、 山西(シャンシー)の北部の長城が強化され、内長城もつくられ、二重となった。 後半にはオルドス南部から蘭州を経て嘉峪関までの長城を修築、16世紀中ごろには大同北西から 山海関までが堅固に改修された。 参考資料 ・日本大百科全書 (執筆者:青木富太郎 小学館) -万里の長城 (青木富太郎著) 関連項目一覧
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