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海賊 黒ひげ,黒髭 ブラック・ビアド Blackbeard (ティーチ、タッシュ、サッチ) >>関連項目一覧


ヨーロッパ、イギリス、アメリカ合衆国の歴史上の海賊。伝説・物語的に語られる人物。
出生ははっきりしていないがイギリスのブリストル生まれ。 名前はティーチ、タッシュ、サッチなど12回変えている。

戦争中に私掠船の甲板員としてジャマイカにわたった。 1716年頃、 海賊ホニゴールドのブリガンティン「レンジャー号」に乗り組み海賊稼業を開始した。 その有能さと勇気に、ホニゴールドから70人の乗組員と6門の大砲を積んだスループ船の船長 にされた。
2隻でキューバ沖からアメリカ沿岸まで機会を見つけて船を襲った。 ヴァージニアの海岸で船の整備(船体の貝や虫をこそげ落とす獣脂を塗る修復する)をし、 再び西インド諸島に行った。

セント・ヴィンセント沖でアフリカからマルティニクへおもむく途中の奴隷船を拿捕し、 奴隷、砂金、金塊銀塊、延べ板、宝石など得た。
ホニゴールドは ティーチの功績に報い獲物の船を与えた。大きなオランダ製の船、 頑丈で武装も整っていた アン女王の復讐の船クイーン・アンズ・リヴェンジ号と名づけた。

彼は18ヶ月間ヴァージニアからホンジュラスの海域を荒らしまくった 少なくとも20隻は拿捕したようだ。
何隻かは船隊に加え船隊は大きくなっていった。

バハマ諸島のニュー・プロヴィデンス島は海賊の巣で、 行政官が派遣されたが海賊に追い払われた。
イギリスの海賊首領トマス・バロウとベンジャミン・ホニゴールドがみずから 総督を名のり、海賊共和国を宣言した。
当時の「新世界」からあつまった私掠船(コルソ私掠事業)や無法者で 人口がふくれあがった。黒髭もいた。
ジョージ1世がウッズ・ロジャーズに王の委任状をわたし 恩赦法(海賊行為をしないと誓えば赦免を与える)の施行など 一掃に成功したが、黒髭は赦免など考えず、 クイーン・アンズ・リヴェンジに300人の手下とともに西インド諸島を荒らしまわり、 イギリスの軍艦を打ち負かしたりカリブ海でもあばれた。
改心したホニゴールドも手下だったことを自慢したという

黒ひげは、他の海賊ほど残忍ではなかったが自己宣伝はすごかったという。 「恐怖という名の海賊」「悪魔の落とし子」といった形容がされ、 今も語られ、いきつづけている。

その容姿は、1900年代に描かれているものからか、昔からの伝承か、 「見るものを圧倒するような身の丈に恐ろしい顔つき、 たてがみのような黒髭に何本もの編みさげにして色付リボンで結んでいた。
弾薬帯に三対のピストルをさしこみ、硝石をひたした縄をさげ、 地獄からきた女神のようだったという。

アメリカの植民地のほとんどは海賊に背を向けていたが、 ノース・カロライナだけは海賊を歓迎した。生活難にあえいでいたからで、 近隣の植民地が密輸業者や海賊との交易を禁止できた理由の、 有利な交易物資「米とインディゴ」がなかったためだ。

1718年1月 黒髭たちはノース・カロライナで新しい恩赦令に従い降伏した。 しかし形だけのもので、イーデン総督は黒髭の戦利品の1%をうけとり、 黒ひげが、近くの湾で傾船修理をし航海の準備をしたが止めず、 植民地書記官兼関税取立て人のバイアス・ナイトは出航を助けさえした。

黒髭は各港に情人をもっており結婚式をあげた妻が14人いたという。 ただ13人は船の士官がおこなった偽のもので、イーデン総督が執り行った14番目だけが正式だったという。

その後黒ひげは、ボネット少佐という陸軍を退役したあとスループ船を購入、大砲10門つんで 海賊をはじめた変わった男にあい 意気投合して同行したが、ボネットが海賊はアマチュアだとわかったので 体よく部下を船長にして ボネットを事実上囚われの身にした。そのうち分かれたボネットは、それなりに海賊を覚えたので 何隻か襲っていたが、(1度は賄賂でまぬがれたが)つかまった。
「キャプテン・サッチと一緒のときだけ海賊をしていた」とヘタな弁明をし たが裁判で若い仲間28人と絞首刑になった。

しかしボネット処刑の1ヶ月前、ティーチもおわりを遂げていた。
ヴァージニアは安全な海洋貿易のため黒髭が邪魔 だったのでスポッツウッド総督に対応を要請。スポッツウッド総督は海賊に執念深い敵で 立法府が海賊退治の遠征資金捻出をもめたとき自費で出した。
派遣された英国海軍パール号ロバート・メイナード中尉が黒ひげにとどめをさした。

1718年11月21日、酔っ払った黒髭と18人の部下にたいし2隻の軍艦、スループ船で戦いとなった 1隻の船長を殺し62人の水兵をほとんど負傷させ勝ったと思われたが逆転勝利された。

至近距離でうちあったというメイナードと黒髭だが、黒髭が負傷し、カトラス(短刀)をふりあげ メイナードの刀が折れたところへ、海軍のひとりが黒髭の喉をきりさいた、というお芝居めいた物語が伝わって いるようだ。
喉から血を流しながらピストルを撃ち続けたが水兵に次々に切り付けられ20箇所の傷を負い、死んだという。

恐ろしげな首は船首に吊るされ、ヴァージニアで杭に吊るされた。 生き残った海賊15人のうち13人が死刑となった。

当時のバッカニアや海賊は、10年以上続けたものは殆どおらず 有名な海賊でも2,3年の経歴だという。

2011年1月、この18世紀の悪名高き海賊「黒ひげ」の旗艦「クイーン・アンズ・リベンジ」号とみられる難破船 から発見された装飾剣の柄が公開された。破片の状態で見つかった柄を修復したもので、部分的に金箔が施されている。

参考資料
・図説海賊大全 (東洋書林)
ナショナルジオグラフィック

 
関連項目一覧
ヨーロッパ 【文化地域項目】

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