幻想世界神話辞典 〜
文化地域項目〜
大項目〜
リンク集〜
掲示板
〜
辞典TOP〜
クララ Clara アッシジのクララAssisiensis Clara>>関連項目一覧キリスト教の伝承。守護聖人。聖女。クララの名前には「光り」の意味がある。キァーラとも。(ラテン語名 Clarusでclear、bright、famousの意味がある) 13c世紀アッシジのフランシスコ会に入った最初の修道女、最初の女弟子として誓願をたてた。 聖フランチェスコ(フランシスコ)の活動を助けた。貴族の裕福な家をでたあとは妹アグネスも従った。 「クララ女子修道会(クララ童貞*会)」を創立。(*カトリックの尼僧のことをさす言葉として) 詳細は下記の年表を参照。 守護分野は、洗濯の守護聖人、刺繍職人、テレビ 表象は聖体顕示台(1243年の町を救う祈りの言葉を記念したもの) 祝日は8月11日(以前は8月12日)で、 「聖女クララの日が、暖かく晴れたら、ナイフ・フルーツに期待できる、 間違いなく果物がきれいになる」という。 クララ修道女会は、精神の価値を求める風潮にのり、ヨーロッパ西部で急速に広まった。 極限状態の貧困を受け入れ、寄付金のみで生計を立てていた。寄付金の額はかなりのものになったが 40年間、修道女会のリーダーだったクララは厳格な規律を緩めず、ローマ教皇グレゴリウス9世じきじきの 歳費割当ての申し入れも断った。 クララは一生をアッシジですごし、馬巣織りのシャツと裸足で、断食や瞑想をしていた。 貧者への多額の寄付も行った。 ときにベッドから起き上がれない病状でも亡くなるまでアッシジの町と自分の修道女たちのことをいつも気にかけていた。 以下、年表的略歴 1194年、イタリアのウンブリア地方アッシジで貴族の子として生まれる。 1210年の四旬節で聖フランチェスコの説教に接し、その精神に心酔。 その後、ふたつの結婚話を断り18歳の時、アッシジの聖フランチェスコに師事するため家を出た。 1213年修道女となる。1215年までベネディクト修道女会に籍を置く。 1215年、聖フランチェスコの助力でクララ修道女会を設立。 聖フランチェスコはクララと仲間たちにアッシジのサン・ダミアーノ教会の近くに家を与えた。 クララの母、姉妹や他の女性たちが集まり清貧で貞潔な生活をおくる。 1229年、ローマ教皇グレゴリウス9世により清貧の栄誉を与えられた。 1243年 アッシジが神聖ローマ帝国フリードリヒ2世の軍(傭兵サラセン人)による侵攻の脅威にさらされた時、 祈りと聖体、自らに課した苦行で町を救ったという。 1253年、60歳で没。 1255年、列聖。 1958年、テレビを守護する聖者とされた。 彼女の伝記を執事したケラノのトマスが記した、クララが見たという幻がもととなったという。 クララが具合が悪く寝ている時、修道女たちの歌声が聞こえる中、まぐさ桶の中のイエス・キリストの姿をはっきりと見たという。 全然関係ないが、日本語の「くらら」には、くらら(くらら-ぐ くらくらする 眩)、くらら(不平や文句、悩み [方言])などの意味がある。 参考資料 ・ キリスト教文化の常識 (石黒マリーローズ:著 講談社現代新書) ・ 聖者の事典 (エリザベス・ハラム:編 鏡リュウジ/宇佐和通:訳 柏書房) ・日本大百科全書(小学館)[項目「クララ」執筆者:藤川 徹] ・ 日本国語大辞典 〔精選版〕 1 関連項目一覧
●このページのトップへ● (C) Copyright Masahiro Aibara |