日本の神話伝承。火除け、火伏せのご利益(りやく)があるという秋葉神社の祭神。秋葉様。 秋葉原(アキハバラ)は秋葉の原から、あきばはら→あきはばらになったようだ。 江戸時代から火災が多かったようで、1869年(明治2年)に防火のため火除(ひよけ)地が設けられ、 1870年に火伏せの秋葉神社を祀ったことから秋葉原(あきばっぱら)といわれたのが地名の由来、ともいうようだ。
この秋葉様は、とくに火難(火伏せ、防火)信仰は愛宕神社と並んで有名で「秋葉信仰」ともされるようだ。
おおもとの秋葉山は神仏習合に伴い修験の霊場となり、修験者の三尺坊(さんじゃくぼう)は、
観音の化身で火伏せの法に通じた天狗といわれ、越後国(新潟県)から
飛来して秋葉山の鎮守となり、三尺坊大権現と称して、大登山秋葉寺に祀(まつ)られたという。
1685年(貞享2年)には三尺坊大権現を祀ることが流行し、
順次各地に送り祀られていったが、江戸に入る前に幕府から禁圧されたほどだという。
しかし中部地方を主として、東海道筋から関東地方にかけて講社を結成するなど庶民と深く結び付いたという。
後述する静岡県の社寺は現在も根強く信仰されているという。
とくに江戸時代は伊勢(いせ)参宮の途次に参詣されることが多かったようだ。
秋葉神社自体は、
静岡県浜松市天竜区春野町領家の秋葉(あきは)山に鎮座し、祭神は火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)。旧県社。
剣難、水難、火難に霊験あらたかであると「東海道名所図会」に記されている。
古くは秋葉山三尺坊大権現(さんじゃくぼうだいごんげん)と称され親しまれたという。
現在は秋葉山本宮秋葉神社を正式名とする。起源は不詳という。
「三代実録」にみえる874年(貞観16年)5月の昇叙の記事を秋葉神社のものとみる説もあるという。
古くから仏教と習合し防火の神として朝野の信仰を集めたが、明治の神仏分離、神仏分離令で
秋葉寺は廃寺となったため、
社蔵の仏像類は同県袋井(ふくろい)市の曹洞宗「可睡斎(かすいさい)」に移った。
例祭は12月16日で、夜半に行われる「秋葉の火祭」は有名。
参考資料
・日本大百科事典
・大辞泉
・ブラタモリ(NHK)
他
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