幻想世界神話辞典 〜
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アオキコンヨウ 青木昆陽 あおきこんよう >>関連項目一覧日本の歴史上の人物。蘭学者。生没1698-1769年。 彼の著作「和蘭文字略考」は後に前野良沢、杉田玄白らが「解体新書」(ターヘルアナトミア) を訳すのに非常に重要だった。 蘭学者だというが、もともと漢学者、儒学者であり、将軍徳川吉宗から蘭学も学べという命があったようだ。 彼の大きな業績として、さつまいも(甘藷かんしょ)を救荒作物として栽培、ひろめたことがあげられる。 「蕃薯考」(ばんしょこう)という著作がある。 「甘藷先生」(かんしょ-)と呼ばれた。 幕張(当時 馬加[まくはり、まくわり]村)には芋の試作地の石碑や通称「いも神社」「昆陽神社」と呼ばれる神社がある。 創立110年以上の幕張小学校、また幕張中学校の校章は「いもの葉」をデザインしたもの。通称いも小、いも中とも。 試作地の近くに平成22年開園した保育園に「いもっこ保育園」もある。 より詳しくは、名前については通称は文蔵、名は敦書(あつのり、または、あつぶみ)、字(あざな)は厚甫 (原甫としたものがある)。号は昆陽。 父は近江の人とも、伊勢とも、江戸の人ともいう。商人の子であるという。 京都で伊藤東涯(いとうとうがい)に師事。1720年(享保5)または1721年江戸に移った。 1733年、町奉行与力、加藤枝直(えなお)の上申により、大岡越前守忠相(えちぜんのかみただすけ) を通じ、8代将軍徳川吉宗に推挙され、書物方として各地を巡り、旧記、古文書を探査した。 1735年「蕃藷考」を著した。薩摩より種いもを 取り寄せて江戸の小石川白山の幕府薬草園で約5アールの試作を行い、のち 下総国馬加(まくはり)村(千葉市花見川区幕張)、 上総国不動堂村(千葉県九十九里町不動堂)にて苗をつくり、普及した。 薬草園は現在の小石川植物園(東京都文京区小石川)。 同園には甘藷試作の碑があり、馬加村には伊毛(いも)神の祠があった。 余談だが幕張には千葉に多い頼朝伝説のひとつがあり、名前の由来も 源頼朝がここで馬を乗り換えた(馬を加えた 馬加)、天幕を張った(幕張)というものがある。 江戸時代は幕府直轄地であったようだ。 参考文献 ・日本大百科全書 (執筆者: 小学館) ・大辞泉 (JapanKnowledge) 関連項目一覧
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