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ギオンショウジャ 祇園精舎[の鐘の声] ぎおんしょうじゃ >>関連項目一覧インド、仏教の伝承上の寺院。釈迦、ブッダの在世、須達(しゅだつ)長者が 中インドのコーサラ国(舎衛国)、舎衛城(しゃえじょう)の南にある林苑を買い取り、釈迦と教団に建てて寄進した僧坊。祇陀林寺。 祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)とも。サンスクリット語Jetavana-vihara。精舎は僧院の意。 仏陀説法の遺蹟としてマガダ国王舎城の竹林精舎と並んで有名。 この園林には釈尊[仏陀(ブッダ)]もしばしば足を運び、在世中19度の 雨安居(うあんご)を過ごしたと伝わる。 給孤独(本名が須達(スダッタ)長者が舎衛国王子の祇陀(ぎだ)太子の樹林を、黄金を敷いた広さだけ売ろうと言われ、黄金を敷き詰めて 買い取った話が有名。 日本では「平家物語」冒頭の句、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す」で 広く知られている。 (祇園精舎鐘聲 諸行無常響有 沙羅雙樹之花之色 盛者必衰之理顕) のちに、法顕(ほっけん)(生没335?-421?)や玄奘(生没600/602-664)が訪れたときには、荒廃していたという。 これらの記述をもとにイギリスのA・カニンガム(生没1814-1893)が 現在のウッタル・プラデシュ州のサヘート・マヘートSaheth Mahethの遺跡を発掘、 舎衛城であるとし、その中のサヘート村が祇園精舎であると比定した。 現在この遺跡はインド政府によって保存、公園として管理されている。 また1600年代前後、江戸幕府の鎖国政策が実施される前は、朱印船貿易で、東南アジア方面へ日本人も進出しており 、日本人町ができたりタイの山田長政のように現地で出世する者もいたが、カンボジアのアンコールワットが「祇園精舎」と考えていたようで 巡礼的に訪れる日本人もいた。実際に墨書きのイタズラ書きが 十字型中回廊などに14か所発見されている。年代は1612年(慶長17)から1632年(寛永9)まで。 森本右近太夫一房(加藤清正の旧臣の子)は、 父の菩提を弔うため仏像4体を奉納したと書いてある。 参考文献 ・日本大百科全書 (執筆者:森章司 小学館) ・大辞泉 (JapanKnowledge) ・日本国語大辞典 (ジャパンナレッジ) 関連項目一覧
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