幻想世界神話辞典 〜
文化地域項目〜
大項目〜
リンク集〜
掲示板
〜
辞典TOP〜
スールー王国 sulu >>関連項目一覧スルとも。フィリピンの歴史伝承における王国。フィリピン南部のスールー諸島にあったイスラム王国。 スールー諸島の中心地ホロ島には13c世紀末ごろから外来のイスラム商人のコミニティができていたという。 15世紀中ごろには島の先住民にもイスラム教が広まっていたようである。 1380年頃 フィリピン諸島最初のイスラム教伝来 アラビアの学者ムドゥムがスル諸島渡来 1390年頃 スマトラのメナンカバウからラジャ(王)・バギンダが側近とともに渡来 多くの住民を改宗させ自らはダト(長)の地位確立。 1450年頃 マライ半島ジョホール[またはスマトラ島]からアラブ人シェリフ アブー・バクル渡来 島の内陸部住民も改宗。 バギンダの娘と結婚、ホロ全島にスルタン制を樹立。 やがてスールー諸島全体に支配勢力を広げる。 *タルシラ(系図録)、エスパニャ、中国史料による ホロ島のタウスグ族にまず広まり15世紀にミンダナオ島コタバト地方のマギンダナオ族に、さらにラナオ地方のマラナオ族に 伝わった。 フィリピンで大きな市場が開かれて交易が盛んになったのはエスパニャ(スペイン)植民地化後で、 中国の商人の活動が盛んになったのもその時期からだという。それ以前では先住民の購買力が高くなかったようだ。 スル(スールー)地方と中国との交渉はスペイン渡来前から盛んだったらしい(イスラム商人が流入していたせいか)。 永楽十五(1417)年にはスールーの三人の王が朝貢し、国王に封ぜられ印を賜っている。 中国側のフィリピンに関する資料は南宋末(13c初め)の『諸蕃志』が最初らしい。 しかし、イスラム的スルタン制度とはいえ、実質は伝統的なダト(長)で、不都合であれば元々の伝統的慣習法が実施されたらしい。 このあたりは東南アジアのイスラムがアラブほど厳格さが強くない現代の状況の淵源といえるだろうか。 1645年にはボルネオ島のブルネイ王国の内紛に介入、ボルネオ島北部の 領有権を得る。 16世紀後半にフィリピン群島の北・中部がスペインの支配下に入り、 スールー王国は スペインの南部侵略をうける。その後3世紀半にわたり、スペイン支配地域へ 報復の海賊行為をおこない損害を与えた。 その後、1898年アメリカがフィリピン群島の領有権を獲得したがスールー王国は抵抗し、 1915年のカーペンター=キラム協定でようやく支配に屈した。 参考資料 ・ 東南アジアを知る事典 ・ フィリピン諸島誌 (モルガ:著 大航海時代叢書[第I期 7] 関連項目一覧
●このページのトップへ● (C) Copyright Masahiro Aibara |