クリミア・ハン国 クリム・カン国。古くはタウリカ。黒海の北部沿岸のウクライナ、
ロシア地域の半島地域。
潟が多く「腐海」と呼ばれるようだ。
以下、民族や国家の興亡史をざっとのべる。
現在残る伝承などはロシア、スラヴ的なものか、モンゴル的なものということになるだろう。
南端のリゾート地ヤルタは古代ギリシャ人が開いたという。ヤルタ会談が有名。
※文化圏としては、ヨーロッパ・スラヴ、アラブ・イスラム圏、中央アジアが交錯した
複雑な歴史を持つ
5-7世紀頃はゴート族やブルガール人が住んでいたようだ
周辺地域でアヴァール汗国やハガール汗国も勢力を拡げていた
アヴァールなどはスラヴに同化
976年頃 南部がビザンツ帝国(東ローマ帝国)領になっていた
都市ケルソネソス
1000年頃 キエフ・ロシアが東の一部を領有
1200年頃 キプチャク汗国、クリム汗国の勢力下
(※関係ないけど 1258年イル汗国、バクダッド攻略)
1300-1400頃 一部オスマン・トルコ領
1400年頃 一部モスクワ公国の勢力下?
クリム汗国は13世紀-18世紀までクリミア半島を中心に成立
キプチャク汗国始祖バトゥの弟トカ=チムールの子孫
が築いたがキプチャク汗国とは対立し、1502年に独立。
オスマントルコ属国となる。
ロシアは300年ほどモンゴルの支配、影響化におかれた
1739年クリム汗国、ロシアに攻められる
1769年トルコがベッサラビアとクリミアの戦闘で敗れる
1774年オスマントルコとロシアが条約。クリミアはロシアに
1783年クリム汗国、ロシア帝国により滅亡
1853-56年クリミア戦争。英仏、サルデーニャ、オスマン4国連合VSロシア
クリミア半島と黒海が主戦場
1855年1月黒海沿岸のロシア最大の要塞セバストポリ陥落
でロシア敗戦
1922年 第1次世界大戦後、オスマン滅亡
1945年 ヤルタ会談
後にソ連を経てウクライナ領になるが、
ロシアの黒海艦隊の基地があり、ロシア系住民も多い。
昔ながらのクリム・タタール人も住んでいる。
ちなみにロシアは凍らない港がほしくて南下政策・拡大政策を頑張るところがある。 黒海にこだわるのも宿命的であるかもしれない。
なおこのクリミア戦争で看護や赤十字などの功績を残すナイチンゲールが活躍した。
またトルストイが従軍し後に『セバストポリ物語』を書く。
参考文献
・
三日月(クレセント)の世紀―「大航海時代」のトルコ、イラン、インド (新潮選書)
・
東欧を知る事典
・
日本国語大辞典 〔精選版〕 1
・
世界の歴史―ビジュアル版〈9〉ビザンツとロシア・東欧
他
関連項目一覧
ロシア (文化地域)
スラヴ (文化地域)
モンゴル (文化地域)
(C) 幻想世界神話辞典 - GENSO SEKAI Myth dictionary