「くろうるしのたち」とも、「黒漆刀」とも。剣でも「たち」と読むことがある。
時代がずれるかも知れないが貴族が持つ儀礼的な刀を「剣(たち)」としたという。
直刀。鞍馬寺所有の重要文化財。長さ92.85cm。他にも「黒漆大刀」「黒漆太刀」と呼称される刀がある。
切刃造の直刀で地鉄もよく錬れ、拵(こしらえ)は黒漆塗で木瓜形の鉄鍔をかけ、魚形をした足金物がついている。
平安時代の武官、武将で二度、征夷大将軍になった坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ 生没758-811)の佩刀と伝わる。
坂上田村麻呂の死後は歴代天皇の傍にあったというが、
現在は鞍馬寺所有、京都国立博物館に保管されている。
坂上宝剣という別称もあるというが伝承のもとになった刀は、別の坂上田村麻呂の佩刀と伝わる刀のようだ。
(「富家語」「古事談」「古今著聞集」などに伝わるという)
2010年に鞍馬寺に確認したところ、「そういう話もあるようだが、(鞍馬寺では)コクシツノタチを
坂上宝剣とは呼ばない」とのこと。
坂上田村麻呂の死後、天皇家で歴代天皇の傍に置かれ、
雷がなるとひとりでに鞘走るという不思議をみせたという。
この霊験、霊威があってか坂上宝剣と呼ばれた刀の伝承があるにはある。
標剣しるしのつるぎ、そはやのつるぎ(ソハヤノツルギ)ともいうようだが、
これも別の刀、または田村伝説のもののことともいう。
「黒漆太刀」という似た名前の刀があるが別のものである。また「黒漆太刀拵え」という言葉もあり、拵えの特徴などが刀の呼び名にあることもある。
坂上田村麻呂は東北最大の実力者アテルイ(阿弖流為 生没?-802)と磐具公母礼(ばんぐのきみもれ)を降伏させた、
正三位大納言の官位にまでのぼった。
801年(延暦20)の第三次蝦夷征討に際しては「節刀」(せっとう)を受けて赴いた。
2015年4月、黒漆剣と坂上宝剣を別項目としました。必ずしも同一として述べてはいませんでしたが、同一扱いする資料にも依っていた事もあったので伝承も様々で確定的意見はわかりませんが、
鞍馬寺でそう呼んでいないこともあり、複数ご意見も頂戴したので誤解ないよう別にしました。
※水槌様より黒漆大刀と坂上宝剣は別物との情報を頂きました。
※HN静鹿御前さんからも黒漆剣と坂上宝剣は別物と情報頂きました。
参考資料
・
図解 武将・剣豪と日本刀
・
日本刀 (著:本間順治)
・
日本架空伝承人名事典 (平凡社)
・
刀剣 (カラーブックス 175)
・
日本国語大辞典 〔精選版〕 1
他
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