幻想世界神話辞典 〜
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レオナルド・ダ・ビンチ(ダ・ヴィンチ) 2.資料編 >>関連項目一覧以下、ダヴィンチに関する資料 レオナルド・ダ・ビンチ 1.に戻る ダヴィンチ レオナルド・ダ・ヴィンチ ─手稿による自伝─ 裾分一弘 中央公論美術出版 ダヴィンチの手紙は20通、ほぼ全部草稿(※ミケランジェロは500通)、作品は10作。 だが観察、記録等の素描、ノートは大雑把に600枚、手稿約6300ページという。 P41 「カテリーナの埋葬のための支出」(フォースター手稿2の64裏) 蝋3ポンド 27ソルド 棺 8ソルド P37 ミラノでの38歳の時、徒弟をいれた。10歳の少年ヤコモ。落ち着きなくあやまち多く、引き出しから小銭盗み買い食い 「サライ」(小悪魔)というあだ名つけた。しかし生涯召使いとして仕えたようだ。主人の死に際し、ミラノ城外の土地を遺贈された。 彼が盗んだ小銭を記録していた。 買い与えた物と値段の記録 「最初の年(1490年)、外套1着2リラ、シャツ6枚4リラ、上衣3着6リラ、くつ下4足7リラ8ソルド、裏つきの衣服5リラ、 靴24足6リラ5ソルド、帽子1着1リラ、組み紐のベルト1リラ」 P13 1473年の風景素描にかかれた鏡文字文章 「1473年8月5日、雪の聖マリアの日に」(Di di sant Maria della neve addj 5 d'aghossto 1473) P11 「鳶についての明確な記録をここにとどめておくことは、私の定めであるように思える。 私の幼児期の最初記憶に、私が揺籠の中にあったとき、一羽の鳶が飛んで来て、その尾で私の口を開き、 幾度もそれで唇の中を打ったように思えたからである」(アトランティコ手稿 66裏) 「私が幼い聖キリストを描いたとき、あなたは私を牢に入れた。もし私が成人した聖キリストを描いたなら、 あなたは私をいっそうひどい目に合わせただろう」」(アトランティコ手稿 252表) P6 「1504年7月9日水曜日7時、私の父、ポデスタ宮殿の公証人セル・ピエロ・ダ・ヴィンチ死す。7時。80歳であった。 10人の息子と2人の娘をのこす」(アランデル手稿 272表) レオナルド・ダ・ビンチ 1.に戻る 関連項目一覧
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