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姫路城 ひめじじょう Himeji-jo (白鷺城 国宝 世界遺産) 

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姫路城は「平山城」で、険しい山から平野へ移る途中の小高い山に築城された。この山は「姫山」と呼ばれているが、ひとつの言い伝えがある。 姫路独特の、鮮やかな「かちん染め」は、旅籠で旅人を殺害しその血を混ぜて染め上げる秘法を施したという。それを知り逃れた男女の、女が逃げたのが「姫山」男が逃げたほうが「男山」だという。 (『播磨鏡』江戸中期の地誌)

姫山は、より古くはヒメジオカ(日女道丘)と呼ばれた。8世紀の『播磨国風土記』には、大汝命(おおなむちのみこと [大国主命])は息子、火明命(ほあかりのみこと)が乱暴で手を焼き、船で姫路表についた時、陸に置き去りにした。怒った火明命は嵐を起こし、父の船をバラバラにしてしまった。多くの積み荷が空中に舞い上がり、陸地に十四つ、落ちた。1つ1つが丘となった。 そのうち1つが、蚕子(ひめこ)で「蚕子落ちし処は、すなわち日女道丘となづく」とある。(伊和の里十四の丘)

姫路城に伝わる怨霊、女怪。姫路という名、建てられた姫山には女性にまつわるいわれがある。 姫路城を建てる際に、その場所には非業の運命をたどった女性を祀る神社や五輪塔があったという。戦国時代末期、姫路城の城主に3年間なった羽柴秀吉(豊臣秀吉)が神社を壊したという。その高台に三層の天守をつくった。 祈祷師に祈祷をさせているさなか、怨霊があらわれ、祟る旨はなしたという。秀吉は気にしなかったが、その後城主になった木下家定は家宝の名刀(刀工 郷義弘の作)を紛失した、という。

木下定が城主だった慶長年間に宮本武蔵が妖怪退治したという逸話があるというが、姫路と宮本武蔵については、本多家が姫路を治めていた時(元和三年[1617-])の剣術指南の三宅軍太夫の言葉が『濃国人物誌』という書物にあり、 「生涯で二度死ぬかと思う恐怖を味わった」うちの一度は、姫路城下の武蔵屋敷で宮本武蔵と対決した時だという。二刀を手に睨まれ「無理なり(相手にならない)」と4言われ軍太夫は恐怖で固まってしまったようだ。
宮本武蔵は、巌流島の闘い(1612年)まで多くの決闘で勝利し名声を上げ、姫路藩主本多忠政に召し抱えられたようだ。武蔵は著作で「生国播磨」と書いている。

「刑部明神」

 

参考資料
姫路城100ものがたり 中元 孝迪:著 (神戸新聞総合出版センター) ※妖怪の記述無し
ホントは怖い日本のお城 (扶桑社ムック)
姫路城公式サイト

 

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刑部姫(おさかべひめ) 【文化地域】
日本 【文化地域】

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