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ストク テンノウ 崇徳天皇 (崇徳院、上皇) すとく てんのう >>関連項目一覧日本の歴史伝承の人物。第75代に数えられる天皇。生没1119-1164年(元永二年-長寛二年)。 在位1123-1141年。鳥羽天皇第一皇子。母は中宮璋子(待賢門院[藤原公実実女、白河院養女])。 しかし璋子(たまこ)は幼少から白河院(鳥羽天皇の祖父)が寵愛しており、白河院が産ませた子が崇徳だという。 新院、讃岐院とも。諱(いみな)は顕仁。 白河の意向で鳥羽の譲りをうけ即位したが白河死後、鳥羽院政になり対立、崇徳は異母弟の近衛天皇に譲位。 1155年に近衛が17歳で没し璋子が産んだ後白河天皇が即位。崇徳上皇は鳥羽院が没すると、 兄の関白から主流派から外されていた左大臣藤原頼長と結び挙兵する(保元の乱) 敗れた崇徳上皇は讃岐(香川県)に配流。1164年、怨みを抱いて没した。陵は白峯陵(香川県坂出市) なお平安期から怨霊をおそれて、死罪が廃止されていたのだが、この保元の乱の戦後処理で3世紀半ぶりに斬首が復活した。 また、この乱を機に武士の、平清盛らの影響力が大きくなった。 院政期は歌壇の保護者で、『千載集』以下の勅撰集に総計79首所収。 江戸時代、葛飾北斎画の『椿説弓張月』巻六では、憤激のあまり経文を海へ投げ捨て、魔王となって黒気に乗じて天に上る 崇徳院が描かれている。 「一道の黒気、玉体を掩ひ隠す程こそあれ、電(いなびかり)晃(きらめ)きわたり、雲間の にあやしの御姿、隠々として見えさせたまへば、今ははや天狗道にや入り給ひけん」 (没したのち)「執念おはしませしゆゑに、御魂のみ幻に顕れて、人にも見え給ひしとぞ」 参考文献 ・ 日本架空伝承人名事典 (平凡社) --[この項:黒板伸夫] ・ 大いなる謎 平清盛 (川口素生:著 PHP新書) ・ 日本国語大辞典 〔精選版〕 1 ・古語辞典 (旺文社) 関連項目一覧
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