松飾りとも。日本の伝統で、正月に家の門口に飾る。中世以降、公家など竹を一緒に飾っていたが、
現在みられる孟宗竹を使った立派な、派手な門松は江戸時代
以降のもの。関西では松の小枝に半紙を巻き、水引をかけた簡素なものを門口に釘で
打ちつけるものが多いという。
本来、年神、歳神(としがみ)の依代(よりしろ)として松を準備する神聖な行為だった。 山に入り松を切ってくるのは家長の仕事だったが 後に長男、奉公人と変わっていった。松迎えと呼ばれたこの行事は12月13日に行うものだった が20日以降の地域もあり、 また松以外の樹木を使う地域もある。
竹の先を斜めに切るのは武田家に苦しめられた松平家(後の徳川家)が竹(武田)を一刀両断にする という意味をこめ、竹を松(松平)で巻いて打倒信玄えお念じたのだという。この形式が武家や 商家にひろまった ようだ。
正月飾りをいつ外すか、いつまでか、わからない人がいるが、 門松がある期間を松の内といい、1月15日までだったのを江戸幕府が 正月短縮のおふれをだして、 7日の朝、外すようになったという。これも地域によって異なるようだ。
一休禅師作と伝えられる狂歌「門松は冥途の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」
参考資料
・
日本国語大辞典 〔精選版〕 1
・
三省堂 大辞林
・
地域新聞 新春雑学事典 門松の話(黄楓:著)
他
(C) 幻想世界神話辞典 - GENSO SEKAI Myth dictionary