日本の伝統行事、祭事、風習。豆まき。「鬼は外、福は内」と言いながら、豆をまき、
(鬼に豆をぶつける)
鬼を払い福を迎える。太陰暦(旧暦)の立春前日(旧暦新年の「七日正月」の前後
太陽暦で2月4日頃)、
新年を迎える行事のひとつだったが太陽暦に変わって時期がずれ二月の行事となっている。(2月3日頃)
歳(年齢)の数だけ豆をたべる、また関西では赤色が邪を祓うという考えからあずき(小豆)を食べるということが
行われるようだ。
「節分」自体は立春・立夏・立秋・立冬の前日、年4回あるが、とくに2月の行事をいう。
また大阪地方の習慣であった恵方巻(えほうまき 吉方巻)が平成12年(2000)ごろから
商業戦略的にか全国に広がったようだ。
大阪船場の旦那衆が遊女に太巻きをくわえさせた云々という由来説もあるらしい。
節分の日に、その年の恵方(2016年は南南東*とのこと)
を向いて食べる太巻き寿司で、
心の内に願い事をしながら黙って食べると願い事がかなうという。恵方巻きロールケーキもおいしい。
*南南東1 東北東 西南西 南南東2 北北西 の繰り返し
全国的に行われるが、関西・関東で大きく分かれたり、各地方ごとの特色があったりもする。
元々は平安時代の宮廷で、大晦日に追儺(ついな)という鬼を追い払う儀式
(恨みを持って死んだ人が鬼になり災厄をもたらすと信じていた)があり、
粽(ちまき)をつくって撒いた。
これは中国の屈原の故事に由来するらしい。楚の人屈原が妬まれて失脚し泪羅(べきら)の淵に身投げして死んだ。
姉が弔いに餅を作って投げ入れたという。
また春の初めに神が訪れ祝福を与えるという信仰もあり、神を迎えるため御払いをする行事もあった。
このニつの行事が一つになって節分の行事になったというが諸説あるようだ。
神社での除災神事は江戸時代からだという。
節分の粽は立春、立夏、立秋、立冬全てだったのが五月の節句だけになった。 「節分」も立春前日だけをさすようになった。 粽が豆に変わったが、五穀であれば何でも良かったらしいが、よくわかっていない。 この豆まきによる追儺(ついな)、鬼やらいは、節分に行うのは室町時代以後のこと で鎌倉時代末ごろまでは宮中の追儺行事は大みそかだった。 仮装した鬼を追う芸能形式と、枡に入れた炒り大豆を撒く形があり、 芸能形式は寺院の修正 会(しゅしょうえ)と結び付いたものが多い。
一般の家では、戸主が年男になって、
「福は内、鬼は外」などと唱えながら一升枡に入
れた豆を屋内に撒くが、地方によって違う場合もある。
豆を自分の年齢の数だけ食べる、ということもする。
12粒をいろりの灰に並べ、焼けぐあいで1年各月の天候などを占
う豆占(まめうら)というものあるようだ。
江戸時代の学者、平賀源内は芝居の脚本を書く時のペンネームに「福内鬼外」(ふくうちきがい)を使った。
柊の枝に鰯を刺して門口に立てておく関東の風習は、鬼が鰯の臭いを嫌うという俗信である。
*節分とは直接関係しないものもあるが以下、五節句一覧
五節句
人日の節句 一月七日
上巳の節句 三月三日(ひな祭り、桃の節句)
端午の節句 五月五日(子供の日)
七夕の節句 七月七日
重陽の節句 九月九日(菊の節句)
他、
元日 一月一日(朝は元旦)
参考資料
・大辞泉(JapanKnowledge)
・日本大事典(小学館)
他
(C) 幻想世界神話辞典 - GENSO SEKAI Myth dictionary