ローマについては古代ローマから帝国としての繁栄、東西ローマの分裂と衰退、
都市ローマとしての歴史など様々な要素がある。
ローマ神話についてはキリスト教国教化前の古代ローマの神話伝承とその後のヨーロッパ世界での伝承
になる。
ローマは神話・伝説ではローマは紀元前753年(他説有り)、ロムルスによって建設されたという。
考古学的には紀元前1000紀の初めにはすでにパラティーノ丘にラテン人の、クイリナーレ丘とエスクイリーノ丘に
サビニ人の住居が認められる。両者によってローマ市が築かれたのは紀元前7世紀中ごろとされる。
伝承では建国以来7代にわたって王に支配され、最後に数代のエトルリア人王朝の支配を経て共和政になる。
このためローマ市はエトルリアの影響が強く、ローマ市そのものも正式にはエトルリア系の儀式によって
設けられた市壁に囲まれた特定の空間をさし(のちに拡大)、市民の生活空間がその外に拡大しても、
そのたてまえは変わらなかった。神話でもエトルリアの影響は大きい。
市のほぼ中央の広場フォルム(現在のフォロ・ロマーノ)が市民生活の中心で、民会はだいたいここで開かれた。 武装民会である兵員会(コミティア・ケントゥリアータ)は市外の「マルスの野」で開かれた。 カエサルの晩年以来、広場はいくつか新設されたが、その廃墟は現在フォリ・インペリアーリ通りの 周辺にみられる。
ローマの地中海世界支配の確立とともにローマ市は全地中海世界の政治的中心となり、諸国の使節は争って
ローマ元老院の謁見を
求め、海外からの略奪品がローマ市を飾ったという。「ローマ女神」は海外各地で宗教的礼拝を受けた。
一方、エジプトブームと呼ぶようなこともおき、イシス女神が崇拝されたり、オベリスクが運び
持ち込まれたり、ピラミッド様の建築物
をつくるものもいた。*オベリスクはさらに後代サンピエトロ寺院にも運ばれ立てられた。
西アジア(オリエント)方面の宗教密儀などが流行したりもし、都市文化が栄えた
時期は宗教的は混沌とした時期だったかもしれない。
上記のことやパンテオンにみられるように宗教的には野放図なところがあったようだ。
313年のキリスト教公認(コンスタンティヌス帝のミラノ勅令)、 392年キリスト教国教化(テオドシウス帝)、ほかの宗教が禁止される。 しかしローマ神話(ギリシャ神話も含め)は、文芸や美術などヨーロッパ文明の底流に今も受け継がれている。
参考資料
・『世界の歴史』(山川出版社)
他
(C) 幻想世界神話辞典 - GENSO SEKAI Myth dictionary