日本語の「薬」の語源は、一説にはクシ、クスシ(奇し)という語からきているという。 これは「神秘的で、不思議なようす」を指す言葉で、 薬も、弱っている体に神秘的で霊妙な力を与えてくれるからだという。
世界の数多くの神話、民話には不死の霊薬、生命の水といったものが多く見られる。
古代において使われた薬の多くは、現代においても薬効が認められている。しかし、 医学的であると同時に、薬、また薬を使った治療の行為そのものや、 治療を行うものが宗教的であったのは世界中で変わらない。
中世ヨーロッパでは、初期の薬草書には薬草と一緒に経文を記したものがあった。 「神の助け」によって患者は癒されると考えた。
このようなあり方は、現代医学で、精神面の作用が体にもたらす効果を、治療に用いる、 といったものと、結果的には同じではないかと考える。
また古代世界ではヨーロッパ、ギリシャ、エジプト、アラブ、インドなどの間で互いに薬、
医学に関する知識の伝播があったようだ。命が惜しい、
病気を治したいという感情の前には、文化や民族の垣根など関係なかったようで、積極的に
優れた治療法を求めたと思われる。鎖国中の江戸時代でも蘭学禁止令をだした時期、医学だけは
除外された等の例もある。
紀元前BC1700年頃のエジプトのパピルス文書に、ニンニク、ジュニパーなど多くのハーブが
記されており、医学に用いられていたようだ。
ラムセス3世の時代に眼病の薬とされた麻は、今も緑内障の治療に処方されることがある。
夜泣きする子どもを落ち着かせるのにケシのエキスを用いたとも。
5世紀、ローマ帝国が衰退すると古典時代の学問の中心地は東洋に移った。コンスタンチノープル とイランが、ガレノス派の医学研究の拠点となり、 民間医療や古代エジプトから受け継がれた学問と混ざり合い、アラブ人の侵略とともにヨーロッパ へ再輸入された。 重要な著作にアラビアのアビアケンナが1020年頃に書いた「キタブ・アル・カヌン」(医学正典)は、 ガレノスの原理を忠実に踏襲しており、12世紀までにラテン語に翻訳され西洋の医学校で 教科書として使われた。 またアラブ人はディオスコリデスやガレノスの薬物学書にナツメグ、クローブ、サフラン、 センナなど異国のハーブやスパイスを数多く付け加えた。
変わったものでは、イタリアの民話で孔雀の羽 La penna di huで盲目となった王を治す話が ある。孔雀の羽には百眼巨人アルゴスの目が刻まれているので 神聖視されるのだという(ヘラがアルゴスが死んだ時孔雀の羽に移した)。また古代エジプト では歌は「魂の薬」といわれていたという。
東アジアにおいては中国の漢方の医学知識は重要だった。早くから文献もできた。 現存する最古の医書では『黄帝内経』、薬草書では『神農本草経』がある。
関連項目一覧
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薬 (大項目)
ヨーロッパ (文化地域)
アムリタ
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